【20-09】公衆衛生は個人の管理強化の方向に 飯島渉氏が新型コロナの影響予測
2020年4月09日 小岩井 忠道(中国総合研究・さくらサイエンスセンター)
感染症が人類の歴史にどのような影響を及ぼしたかを主要な研究テーマにしている飯島渉青山学院大学文学部教授が4月3日、日本記者クラブで記者会見し、歴史学者の立場から今回の新型コロナウイルス感染症をどのようにみるか、詳述した。中国がこれまで感染症にどのように対応して来たかについても詳しい飯島氏は、「疫病史観から見ると1万年くらいの歴史を中国はこの30年くらいで経験した」との見方を示した。また、中国やシンガポール、韓国の今回の対応などから、今後、公衆衛生は個人の管理を強める方向に向かう可能性がある、との見通しも明らかにしている。
飯島渉青山学院大学文学部教授(日本記者クラブ)
飯島氏は、「感染症アーカイブズ」の代表も務める。感染症、特に風土病の制圧をめぐる歴史疫学的な資料を整理・保全・公開することを目的とする取り組みだ。「ペストと近代中国」、「マラリアと帝国」、「感染症の中国史」など感染症の歴史に関する著書も多い。記者会見は、歴史的、特に中国の感染症の歴史という観点から新型コロナウイルス感染症について解説してほしいという日本記者クラブの要請に応じて開かれた。
日本、米国の影響受けた中国の医療・衛生制度
20世紀以降の中国の感染症流行と医療・衛生制度の変化について、飯島氏は三つの時代に区分けしている。最初は1910年代から1940年代の中華民国時代。1910~1920年にかけて清朝末期の中国東北部を襲った肺ペストに対しては、日本を参考に医療・衛生制度の整備が図られた。パブリックヘルスの日本語訳である「公衆衛生」という言葉も日本から逆輸入された。しかし、その後、米国型への転換が図られ、「公衆衛生」という表現も現在使用されている「公共衛生」に変わっている。
二つ目は、新中国建国後の1950年代から1970年代で、人民公社と国有企業が医療・保険制度を支える重要な役割を果たした時期。国共内戦によって遅れた医療・保険制度の整備に努め、国民の医療アクセスを改善し、保健状態の向上を図るユニバーサルヘルスケア(普遍主義的医療制度)を実現した。「はだしの医者」という言葉にも見られるように大衆動員がキーワードの時期でもある。この時期、中国でも大きな問題となっていた日本住血吸虫症対策でも、いち早く原因の寄生虫と中間宿主である巻貝を特定した日本の対策を参考にしている。ただし、方法は異なる。農地の水路をコンクリート製にすることで中間宿主である巻貝が水路に住めなくした日本の対策に対し、中国が採ったのは、人民解放軍、学生、農民が水路にいる巻貝を直接除去するという大衆動員法だった。
医療の市場化政策を軌道修正させたSARS
1980年代から現在に至る三つ目の段階は、1978年に始まった改革開放政策の時期に重なる。1978年には、世界保健機関(WHO)と国連児童基金(UNICEF)共催の国際会議で「アルマ・アタ宣言」が採択されている。世界中のすべての人々の健康を守り促進するため、至急の行動をとる必要を強調した宣言だ。飯島氏によると、この宣言は中国の取り組みをモデルとしていたが、皮肉なことに中国は、この時期にむしろせっかく整備が進んだ医療・保険制度の後退が起きている。改革開放政策によって人民公社、国営企業が解体され、医療の市場化が急速に進んだことによる。医療にもお金がかかるということになったためだ。
医療の市場化政策に軌道修正を迫ったのが、2002年に広東省で発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)。今回とは別の種類だが、同じコロナウイルスが原因の新しい感染症で、2003年に収束するまでインド以東のアジアとカナダを中心に、32カ国・地域に感染が拡大し8,000人を超える症例が報告されている。これを機に、医療・保険制度については政府の役割を再び高め、都市、農村とも国民が医療を受けやすくする改善が図られた。「改革開放政策で経済発展が図られた結果、医療・保険制度の改善に資金を回すことができた。政府の役割を大きくするという重要な転換が起きた」と飯島氏は語った。
現在、中国の医療機器の普及状況は日本と同レベル。健康分野における初の中長期的な国家計画として2016年に公表された「健康中国2030規画綱要」も、生活習慣病対策を重視している。中国が先進国型の医療課題に直面していることを示すものだ。現在アフリカではまだ被害が深刻な住血吸虫症に対して中国は現在、人材、医療機器両面で支援をしている。飯島氏は中国の現状をこのように説明し、この30年間で中国の医療・保険制度が強化されたまさに時を合わせるように、今回の新型コロナウイルス感染症が起きたことに注意を促した。
飯島渉教授記者会見場の様子。感染防止のため司会者、記者にマスク着用が義務付けられ、司会者と教授の間隔もこれまでの記者会見より広い(日本記者クラブ)
感染症の歴史の背景に覇権主義も
飯島氏は、過去1万年くらいの歴史の中で感染症がどのような影響を与えたかについても概説した。人類が生態系に介入し、野生動物の家畜化や農業を始め、さらに都市化を進めたことのレスポンスとして、感染症が発生し、人類に大きな影響を与えてきた。また、天然痘、ペスト、スペイン風邪が世界的な感染拡大を引き起こした背景に、スペインや米国の覇権主義がある。こうした見方を紹介したうえで飯島氏は、疫病史観から見ると中国はこうした1万年もの変化を、この30年くらいのうちにやってしまった、との考え方を示した。中国を起点に新型コロナウイルス感染症が急速に世界に拡大した背景に、過去1万年の間に人類が何度も経験した感染症の世界的流行と共通するところがある、という見方だ。
今後、新型コロナウイルス感染症の拡大はどのような展開をみせ、今回の対応から世界はどのような教訓を得るのか。飯島氏は終始、慎重な言い方に終始した。「(感染拡大が収まってから)冷静になってから考えることだろう」と明言は避けたものの、将来の公衆衛生は個人の管理を強める方向に動くのではないか、との見通しを示した。今回の新型コロナ感染症対策で、中国やシンガポール、韓国で大きな役割を果たしたスマートフォンやGPS(衛星利用測位システム)が、今後どのように活用されていくのかに強い関心を持っていることも明らかにした。
関連サイト
日本記者クラブ「『新型コロナウイルス』(7) 飯島渉・青山学院大学教授」
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