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【09-012】中国の若者たちが学ぶ上海新世界進修センター -静かな日本語ブーム-

内野 秀雄(元上海新世界進修センター閔行分校日本語教師)     2009年6月17日

 昨年来のアメリカ発金融危機の影響を受けて、日本に限らず、中国でも輸出不振による波紋が広がり、景気の翳りが見え、若者の就職難の話を耳にする。

周さんが語ってくれた将来の夢

 「今、日本やアメリカ向けの金型の輸出商売が少し暇だから、この機会に上海新世界進修センターに日本語を勉強しに来ている」といい、「将来は日本人のお客さんとじかに日本語でコミュニケーションできるようにしたい」と語ってくれたのは、珠海市で2つの会社と85人の従業員を抱える、小柄な女性経営者であり、上海新世界進修センター(日本語専門学校)閔行分校「全能」クラス10班の20歳代の女子学生・周香英さんである。

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「全能」10班の学生たちと記念写真(前列左から2人目が周香英さん、5人目が筆者)

 私が日本語教師として、ここ新世界外国語専門学校・上海新世界進修センター閔行分校に赴任して初めて教壇に立ったのは2009年4月20日であったが、日本に家族を残しての単身生活にも慣れ、いろいろ不便さを感じながらもやっと自分の居住空間で寛げるようになった矢先に余儀ない事情により、ここを去ることになった。したがって、脱稿した時点では私はすでにここの教師でなくなったことを断わっておきたい。

新世界外国語専門学校全寮制校 ――「閔行分校」

 新世界外国語専門学校は日本語教育を主とし、英語、韓国語など他の言語を従とする、中国最大規模の語学専門学校の一つであるが、華東地区に上海校・南京校・南通校・蘇州校・無錫校・常州校・鎮江校・杭州校・紹興校・温州校があり、それ以外の地域に広州分校・深圳分校・北京分校・青島分校・大連分校が設けられている。また上海地区に「港陸本部」「閔行分校」「人民広場」「田林分校」「五角場」など23の分校が置かれているが、その内、「閔行分校」が全寮制校になっている。地方出身の学生にとって、自分で下宿先を探す煩わしさが省けるから、通学校よりも全寮制校の方に入学しやすいのは間違いない。だから、ここの学生の約9割が地方出身者で、教える先生も7-8割が地方からきている。学生も教師も一部地元上海出身の者以外はみな学校の宿舎に住んでいる。

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閔行分校の教育区(左)と生活区(右)

 教師・学生の宿舎のある生活区から教育棟・管理棟のある教育区までは目と鼻の先であり、道路を渡ってすぐだから、通勤時間は5分とかからないのでとても楽だった。学生寮は5階建てであるが、1階の左半分および4階、5階の全フロアーは女子用で、1階の右半分および2階、3階の全フロアーは男子用となっている。寝室は4人用と6人用がある。1200人ほど収容できる宿舎は、現在半部程度しか埋まっていないという。約600人いる学生の内の半分は、新世界閔行分校の学生ではなく、別の私立の教育機関の学生だそうだ。学生宿舎の出入り口は男女別々になっており、夜10時過ぎの異性の寝室への訪問は禁止されている。学生宿舎の向かい側にある2階建ての建物の2階部分は教師用宿舎であり、1階部分は食堂である。日本人に対する学校側の特別な配慮があったため、私は一人部屋をもらったが、ほかの教師たちはみな二人1室だそうだ。教師は無償で宿舎を提供されているが、それぞれの部屋で使用した電気代は学生の場合と同じく自己負担になっている。赴任初日、学校管理棟のトイレにトイレットペーパーが備え付けられていないのに気付いて驚いたものだ。

「閔行分校」の日本語クラス

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「全能」6班の学生に囲まれる筆者(前列右から4人目)

 日本語のクラスは全部で10あるが、英語のクラスは現在1つだけで、9月に始まる新学期からは2つに増える予定だそうだ。10の日本語クラスの内、日本語専修コースに当たる「大専」(大学専科)クラスは6、「大専」コースを終えた学生を対象とする日本語専攻科コースに当たる「本科」クラスは1、日本留学・日系企業就職のための予備コースに当たる「全能」クラスは3である。

 「大専」の6クラスはそれぞれ08年9月1日にスタートした1班から4班までの4クラスと08年12月28日にスタートした9班および09年3月23日にスタートした11班である。「全能」の3クラスは6班、10班と8班であり、それぞれ08年9月22日、09年1月9日と09年3月23日にスタートしている。10班が8班よりも早くクラスができているのは不思議である。

 本科クラスを除き、クラス編成は基本的にスタート時期と既習の日本語学力によって行われるというが、クラス間および個人間の学力に大きな開きがあるように思われる。学力差に関しては、学生の中からも「某クラスと某クラスはレベルが高い。某クラスと某クラスはレベルが低い」と公言して憚らない声が聞こえてくる。後からスタートした大専9班と11班の中に、すでに日本に数年間滞在経験を持つ、または他所で勉強したことのあるレベルの高い学生がいるが、入学時期が異なるため、前にスタートした別のクラスへ編入することができず、ゼロからスタートしたクラスメートと一緒に授業を受けなければならないので、フラストレーションがたまる。

学位認定試験合格を目指す学生たち

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「大専」1班の授業風景

 「大専」と「本科」コースは2年である。「大専」コースの学生はここで2年間勉強して、上海外国語大学が実施する独学者を対象とした大学専科学位認定試験において、日本語文法、読解、翻訳、会話、リスニングの外に、マルクス主義哲学、大学国語、法律基礎、鄧小平理論などを含む13科目の試験にすべて合格すれば、日本語専科の学位認定証書が授けられるそうだ。そして「大専」コース終了後、さらに「本科」課程で2年間勉強して、上海外国語大学が実施する本科学位認定試験の全13科目に合格すれば、日本語本科の学位認定が受けられるのだ。こうした「大専」や「本科」の学位認定証書がなければ、日系企業での就職が難しく、少し名の売れている企業では面接試験すら受けさせてもらえないのだそうだ。したがって、「大専」の学位認定書を手に入れたい学生にとっては、学位認定試験に合格することがここでの勉強の最大の目的であり、目標である。通常3年かけて勉強する大学日本語専科の課程を2年で勉強するので、学生にとっては大きな負担とプレッシャーになっている。試験科目の勉強を最優先にするあまり、どうしても試験科目外の勉強を等閑にしてしまうのだ。

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「大専」2班の学生たちと一緒にいる筆者(前列左から5人目が筆者)

 「全能」クラスの状況は「大専」クラスの場合とほぼ同じだ。「全能」クラスは1年コースであるが、夏休みなどを除くと、実質授業は10カ月間しか受けられない。「大専」クラスの学生が2年間で上海外国語大学が編集出版した「新編日語」という日本語教材を1冊目から6冊目まで教え込まれるのに対し、「全能」クラスの学生は1年間で「新編日語教程」という新世界進修センターが独自に編集出版した日本語教材を第1冊から第6冊まで勉強させられるのだ。「全能」クラスは「ゼロからのスタート」を標榜して学生たちに1年で日本語能力試験1級またはJ.TESTのAB級合格を目指させている。特に日系企業での就職を目指す学生たちは日本語能力試験1級合格を最大の目標にしている。しかし、ここにも学力差の問題がある。高い目標に追いつかず、勉強を諦めたり、学校をサボったり、または辞めていく学生も当然出てくるが、月曜から金曜まで、毎朝8:00から8:30まで朝の読書に励み、8:40から午後16:50まで1時間半の授業を4コマ受けて、夕食後6:30から9:00まで夜の自習を欠かさない学生もいる。

クラスの担任による請負責任制

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「大専」11班の学生との記念写真(前列中央が筆者)

 各クラスはそれぞれ担任の先生による請負責任制が実施されている。つまり、1人の担任が1つのクラスを受け持ち、最初から最後まで読み書きから文法や語彙、会話まで何でも1人で教えるのだ。教師は一人ひとり授業で使用する教科書の指定を受け、それを学校から支給、貸与されるのではなく、各自で購入することになるが、授業カリキュラムや教案の作成は必ずしも要求されず、教育研修や教育指導を受けることなく、授業の進め方を任されているのだ。教師間で競争意識が培われるのは決して悪いことではないが、教育研究室を通じての研究交流や情報交換が行われていないので、学生に対する学習姿勢の指導や教育上の問題への対応などが図れていない。ここでは外国人教師は「外教」と呼ばれている。閔行分校では私の前にも日本人の「外教」が一人いたが、私のときも一人しかいなかった。日本語を担当する「外教」はクラスの担任にならない代わりに、英語クラスを除く各クラスに日本語会話を週一回教えることになっていた。というわけで、私は幸せなことに10ある日本語クラスを全部教える立場にあったため、自分のクラスしか教えないどの担任の先生よりも接するクラスが多く、学生が多かったのだ。しかし、やはり教育研究室のような教師の交流の場がないため、教育上の問題についての研究交流や学生に関する情報の交換・共有、あるいは教師間の協力が十分にできなかったのは残念だった。

日本語会話授業の工夫

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日本語専攻科の学生たちと一緒にいる筆者(前列左から3人目)

 私が受け持つ10の日本語クラスの会話授業はコンスタントに高い出席率を維持していたクラスもあるが、だんだん学生が出席しなくなるクラスもあった。真面目な学生でも試験に合格することを第一義に考えるので、試験に不要不急の授業を後回しにすることがある。また、前に述べたように、クラスとクラスの間、または個人と個人の間に大きな学力差があるため、難しいことを教えると、レベルの低い学生は置いてきぼりにされてしまい、やさしいことを言うと、すでに分っている学生には授業がつまらなくなってしまうのだ。しかし、これまでの授業は読み・書き・文法・語彙など筆記試験への対策を中心に据えており、会話練習や正確な発音の練習、滑らかさの練習は必ずしも十分に行われていなかった。そのため、できる学生でも教科書に書いてある会話文を読ませるなら簡単にできるのだが、場面を設定して自分の言葉で述べさせると、ほとんど上手に言えないのが現状だ。

 そこで、やさしいと思われる基本的なことでぜひ学生たちに覚えてもらいたいものの正確な発音の練習や滑らかさの練習などを行ってもらってから、学生たちに自由会話の形で日本についていろいろな興味ある話題を取り上げてディスカッションしてもらうことにした。また、授業中に実戦勉強の一環として「日帰り旅行への参加者募集案内」の作成方法を学生たちにグループで討論してもらって、日本語で発表してもらった。実際に学生主導で参加者募集案内状を作成してもらって、他のクラスにも参加を呼び掛けてもらった上で、学生たちと上海近郊の「楓涇・金山」へ日帰り旅行をした。

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「全能」6班の学生たちと「楓涇・金山」への日帰り旅行(前列左から5人目が筆者)

 学生たちといろいろの話をしているうちに、冒頭の周さんの話を聞かされたのだ。学生の中には、周さんのような若い経営者もいれば、中国の企業によって日本に数年間派遣されて仕事をしてきた経験の持ち主もいる。中国の4年制の大学を出た後、もう一度日本語を勉強して日本への留学を目指している人もいれば、日本語を勉強して日系企業での再就職にチャレンジしたい人もいる。また、すでに日本語能力試験1級に合格しているが、日本語本科卒業の学歴をどうしても手に入れて、より高い自分を目指そうとしている学生もいる。まさに、日本語の勉強の動機や目的はそれぞれ異なるが、ここ新世界閔行分校では朝早くから夜遅くまで日本語を一所懸命に勉強している学生がいる。不況の中でも次なるチャンスを伺い、決して自分を

 見失わずに黙々とがんばる中国の若者たちはなんと健気なものだろうか。若くて真面目で静かに燃える学生たちに囲まれて日本語を教えるのは私の長年の夢だったが、已む無き事情によりここの学生たちから離れて行くのは残念である。学生たちが自分の目標に向かってまっしぐらに進み、大空に羽ばたく日が来るのを祈念してやまない。

内野秀雄:
元上海新世界進修センター閔行分校日本語教師

昭和24年1月、中国上海市に生まれる。
昭和49年6月、中国上海より日本へ帰国。
昭和51年4月-昭和55年6月、横浜市鶴見郵便局郵政事務官。
昭和56年3月、明治学院大学経済学部卒業。
昭和58年3月、大東文化大学大学院文学研究科修士。昭和61年3月、博士後期課程修了。
昭和60年4月-平成18年3月、三井物産社員。
平成18年4月-平成21年2月、JST中国総合研究センターフェロー。
平成21年4月-6月、上海新世界進修センター閔行分校日本語教師。