【20-08】中国人民銀行の構造性金融政策手段と金利自由化の動き
2020年8月31日
露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授
略歴
1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。
中国人民銀行は8月6日付で、2020年第2四半期金融政策執行報告を公表した。同報告の中のコラムにおいて、「構造性金融政策手段」と金利自由化の動きについて説明が行われている。今回はこの2点について紹介することとしたい。
構造性金融政策手段
今回の金融政策執行報告公表では今後の金融政策の方針として「穏健な金融政策をさらに柔軟で適度なものとする」としており、通貨流通量や社会融資規模などのマクロ的な総量を中間目標として、柔軟性を増しつつもそれらの安定した伸びを確保する緩和気味の金融政策の大枠を維持する方針であることが示されている。そうした中で、人民銀行は総量をコントロールする金融政策に加えて「構造性金融政策」を実施している。今回の報告では「構造性金融政策手段体系の改善」と題したコラムが設けられており、「マクロ経済の運行上、摩擦や市場の失敗、ミクロ経済主体の異質性などの存在により、総量のみに注目して金融政策を行うと、経済構造のゆがみを大きくする可能性があり、かえって総量目標の実現を困難にしてしまう。構造性金融政策によって、インセンティブメカニズムを通じてより需要が高く、より活力のある重点領域や困窮分野への信用供与を促進し、資金の利用効率を高めることができる」、と説明されている。すなわち構造性金融政策とは、金融機関の信用供与の総量だけでなく内容に対して影響を及ぼす金融政策を意味する。
具体的な政策手段として3つが挙げられている。第1は、預金準備率についての「3つの段階と2つの優遇(三档两优)」の枠組みである。3つの段階とは、銀行の規模を大中小の3段階に分けてそれぞれ異なる預金準備率を適用することである。2つの優遇のうち一つは金融包摂的な融資、すなわち農村貸出や貧困層に対する消費者ローン、学費ローンなどの実行額が一定の条件を満たす大中型銀行については0.5%、1%などの預金準備率の優遇的な引下げが行われるものである。もう一つは、小型銀行について新規融資額の一定比率が地元融資という条件を満たす場合に同様の優遇が行われるものである。3月以降5月にかけて3回の預金準備率の引き下げが行われたが、5月末時点で優遇措置を考慮したうえで預金準備率は大型銀行11.0%、中型銀行9.0%、小型銀行6.0%となっている。この3回の準備率引き下げによって約9500億元(約14兆円)の資金が解放され融資に利用可能となった。
第2は、新型コロナ対策として実施された1月の3000億元の専用再貸出、2月の5000億元と4月の1兆元の再貸出・再割引である。これらは、優遇金利が適用され、コロナ対策重点企業や、生産回復のための企業向け融資を促進するものとして実施された。
第3は、人民銀行が6月1日に創設した実体経済に直接働きかける2つの新しい政策手段である。まず、地方所在の銀行の小型零細企業への融資の元本・利息の返済圧力を緩和するために、「小型零細企業貸出延期支援手段」を創設し、400億元の再貸出資金を供与することとなった。これは地方所在銀行が延期する融資元本の1%程度に相当し、3.7兆元(約56兆円)の融資元本の返済猶予をサポートするものと見積もられている。さらに、小型零細企業の担保不足という課題を補完し、融資比率を上昇させるために「小型零細企業信用貸出支援計画」が導入され、4000億元の再貸出資金が供与される。これは地方所在銀行の小型零細企業向け貸出金額の40%について資金を提供するもので、1兆元(約15兆円)の新規貸出を見込むことができる。
これらの構造性金融政策手段の効果として次の3点が指摘されている。①金融機関に対するインセンティブメカニズムを通じて銀行の信用供与構造を調整するシステムを構築した。②金融機関が国民経済の重点領域や困窮分野への信用供与を増加した際、人民銀行がその一部または全部の資金を提供するシステムを構築した。③金融機関に低コストの資金を提供することによって金利引下げ効果が生じた。これらの効果によって、小型零細企業向け融資には数量の増加、金利の低下、範囲の拡大が生じている。6月末の小型零細企業向け貸出残高は前年比26.5%増加し、6月中の企業向け貸出平均金利は4.64%と昨年12月比0.48%ポイント低下、貸出対象企業は2964万先で前年比21.8%増となった。
金利自由化の進展
今回の金融政策執行報告には「金利波及メカニズムの改善」と題したコラムが設けられている。昨年9月の本コラムでも概観したが、銀行の貸出金利のベースとなる金利については、昨年8月に従来の貸出基礎金利から貸出市場報告金利(LPR)に改革され、中期貸出ファシリティ(MLF)の金利水準を基準に報告銀行が自らの資金コストやリスクを勘案して報告した金利を基に算出されることとなった。MLFの金利は人民銀行が中期の政策金利と位置付けるもので、短期の公開市場操作の金利とともに人民銀行の政策金利体系を形作っている。昨年8月以降、銀行の新規貸出についてLPRを基準に金利を設定することが銀行に対するマクロプルーデンス評価システムに組み入れられ、本年3月以降は既存の変動金利貸出についてもLPRを基準とすることが奨励されている。昨年8月の改革以降、LPRは徐々に低下し、1年物LPRは改革前の4.31%から2020年4月に3.85%となって現在に至っており、昨年6月と本年6月を比べると4.31%から3.85%に0.46%ポイント低下している。また、昨年8月に導入された5年物LPRは4.85%から本年4月以降4.65%と0.2%ポイント低下している。一方、銀行の新規貸出加重平均金利は昨年6月の5.66%から本年6月の5.06%へ0.60%ポイントとLPRの低下幅より大きく低下している。今回のコラムでは、MLF金利→LPR→貸出金利という金利波及メカニズムが確立されたと評価している。
一方、預金金利についてみると、本年6月の国有大型商業銀行と株式制銀行の大口譲渡性預金の加重平均金利はそれぞれ2.64%と2.71%であり、昨年12月と比べそれぞれ0.30%ポイントと0.34%ポイント低下している。貸出加重平均金利は同期間で0.38%低下したので、預金金利も貸出金利の低下に伴って相応に低下しており、預金金利の弾力化も進んでいる。
評価と今後の展望
中国の金利自由化は徐々に進展しているものの、依然として、LPRの決定には人民銀行が定める政策金利であるMLF金利が強く影響している。預金金利の推移も見ながら銀行の利鞘が急激に縮小しないように慎重に金利の弾力化を進めていることがうかがえる。本年4~6月期の銀行の利鞘は2.09%と1~3月期の2.10%と比べるとわずかに低下したものの2%台を確保している。このように金利が依然として充分に自由化されていない状況では、人民銀行は引き続き通貨流通量や社会融資規模などの総量を金融政策の中間目標とせざるを得ない。そうした中で、銀行貸出の内容についても構造性金融政策手段を用いて、政策的に重要とされる分野に資金が供給されるように調整を行っている。
一方でこのような貸出分野に対する調整によって銀行の不良債権が増加する可能性があり、利鞘の縮小を一層警戒しなければならない状況がもたらされている。従って、金利の自由化は今後も慎重なペースで行われざるを得ないと考えられ、総量とその内容をコントロールするという現在の金融政策の手法が当面継続するものと思われる。そうすると、海外との資本取引の自由化も慎重なペースとならざるを得ないだろう。
(了)