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【13-06】所得格差のどこがいけないのか

2013年 7月 4日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 中国社会と中国経済について格差の拡大は大きなリスクとして認識されている。格差が拡大すれば、社会が混乱する恐れがあるからだろう。しかし、中国社会はかつて毛沢東時代の平等な社会に戻れるとは思えない。しかも、国民のほとんどはそれを望んでいないはずである。毛沢東時代の中国では、国民の大多数は貧しい生活を強いられ、貧しさについて平等だったといえる。その貧しさから解放されるのを期待して、最高実力者だった鄧小平が進める「改革・開放」政策が国民に広く支持されているのではないだろうか。

 鄧小平は短期的に中国国民のすべてを豊かにすることができないのを知っていた。それゆえ、国民に「一部の者が豊かになるのを容認する」という「先富論」が唱えられた。しかし、鄧小平の「改革・開放」は一部の者を豊かにすることができたが、貧しい農民を中心に貧困層の生活を底上げすることができなかった。換言すれば、鄧小平の「改革・開放」は格差の拡大を前提としていたといえるかもしれない。

1.平等主義をもっとも嫌う中華民族

 20世紀の世界史において中国が平等を前提とした社会主義の道を歩んだのは冗談のような間違いだったといえる。世界で中国人ほど平等主義を嫌う民族は少ないはずである。毛沢東時代において人々は人民服を身に着けなければ、ブルジョアと批判される恐れがあるため、すべての中国人は人民服やそれに近い地味な服装を身に着けていた。それは当時の中国社会が極端な弾圧を受けた結果だった。

 1979年、最高実力者だった鄧小平は「改革・開放」政策を推し進めた。人々の意識がまだ完全に変わっていないうちに、一部の若者は外国の映画などをみて真似してラッパズボンを作って街中を徘徊していた。当時、学校などでラッパズボンを穿くのが禁止されていたが、若者が新たなファッションの潮流を作り出す流れはもはや止められなかった。中国人は他人との違い、そして、他人との比較で優越感を味わうのを好む民族である。この点は日本人と大きく異なるところである。

 振り返れば、これまでの数千年の歴史において中国社会は一度も平等になったことがない。毛沢東が中華人民共和国を樹立したとき、社会主義の平等の原則に賛同したのは主に貧しい農民と労働者だった。言い換えれば、当時、極貧の農民と労働者は地主と資本家などの富裕層を恨んでいた。毛沢東が率いる共産党はこれらの極貧の農民と労働者の恨みを扇動し平等というユートピアのイデオロギーで人々を洗脳した結果として革命に成功した。

 しかし、中国人のDNAは平等主義を受け入れたわけではない。今となって、革命を起こした共産党幹部は勝ち組となり、新しい富裕層に変身した。しかし、農民と労働者の大多数は依然として貧しいままである。要するに、中国の社会構造はほとんど変わっておらず、勝ち組が入れ替わっただけなのである。

2.資本主義と社会主義の自己修正

 そもそも社会主義体制が失敗した原因の一つは結果の平等を追求したことにある。結果の平等とは、頑張っても頑張らなくても結果は同じになる。このような社会では、人々の働く意欲が減退し、活力が出てくるはずがない。人間はしょせん動物であり、その動物的本能から他人との競争に勝とうとする。

 無論、経済活動などはすべて競争に委ねるだけでは、弱肉強食の社会になってしまう恐れがある。奴隷社会、封建社会と資本主義の初期段階はまさに弱肉強食の社会だった。第二次世界大戦以降、資本主義体制は自らの弱点を修正し、市場競争に負けた弱者の基本的な生活を保障する社会保障制度が徐々に整備された。このようなプロセスをみれば、資本主義体制は弱者に配慮する社会主義体制の一部の提案を受け入れたからこそ、資本主義体制は必ず滅びるというマルクス・レーニンの予測に反して依然として存続し、世界経済をリードしているのである。

 それに対して、中国は自らの体制の性格について「中国の特色のある社会主義市場経済」と性格付けしている。分かりやすくいえば、中国共産党は独裁的な政治支配を堅持する前提で資本主義の市場経済原理を部分的に受け入れた。このような体制修正はこれまでの中国経済の高成長をもたらした。

 ここで問われているのは、資本主義の基盤に社会主義の要素を取り入れるやり方と社会主義の基盤に資本主義の要素を導入したやり方のどちらが比較優位を誇示できるかである。社会主義の制度基盤に資本主義市場経済の原理を組み入れる中国のやり方では、経済成長が実現されているが、弱者の生活を保障するという社会主義本来の強みが失われてしまったようだ。

3.機会の平等か結果の平等か

 上で述べたように、結果の平等を追求することで社会主義体制は失敗した。逆に、資本主義は機会の平等を担保しているから社会に活力がどんどん出てくるようになっている。しかし、機会の平等だけでは、その機会を十分に捉えることができない弱者層が出現するため、社会と経済は同様に不安定化し持続不可能と思われる。

 ここで明らかにしておきたいことは、格差は自由経済にとってつきものということである。市場経済の競争原理を取り入れる以上、ある程度の格差を容認せざるを得ない。問題は格差ではなくて、その格差の正当性を説明できるかどうかである。

 中国では、所得格差は年を追うごとに拡大しており、国家統計局の発表によれば、所得格差を示すジニ係数は社会の混乱を意味する警戒ラインを遥かに超える0.47に達しているといわれている。中国の一人当たりGDPはまだ7000ドル未満であるが、2012年、中国は世界二番目の高級車市場にまで成長し、1000万円以上もする高級車が167万台も売れたといわれている。あと3年で中国は世界最大の高級車市場になるとみられ、15年に300万台の高級車が売れると予測されている。

 結論的にいえば、中国社会が不安定化しているのは格差が拡大しているからというよりも、その格差の合理性について説明ができないからである。すなわち、富裕層は汗をかいてお金を稼いだのではなく、政治との癒着で権力を乱用して金持ちになった者が多いからである。昔から中国社会でビジネスを成功させるためには、「関係」が重要といわれている。この「関係」というのは政治家とのコネクションを意味するものである。

 高速鉄道の建設に力を尽くしたといわれる元鉄道大臣の劉志軍は知人の女性社長に20億元以上(300億円以上)を儲けさせた代わりに、6000万元以上(約10億円)の賄賂を受け取ったといわれている。その豪華な生活ぶりをみて、貧しい農民や労働者は平常心でいられるのだろうか。実は、このような事例は決して例外的な個別ではなく、氷山の一角に過ぎない。繰り返しになるが、中国社会を安定させ活力を維持するためには、平等主義を追求するのではなく、格差の合理性を説明できるように取り組まなければならない。