【07-03】山の中の港町~重慶とその国際性~
2007年4月20日
今井 寛(筑波大学大学院教授・中国総合研究センター特任フェロー)
コラムに名前を付けたこと
4月から編集長の方針で、コラムに自分の名前をつけることになり、「いまいかん 中国体感・望観」とした。
広辞苑では、体感は「身体に受ける感じ」、また望観は「のぞみみること、観望」とある。今後も、中国に関して自分の経験から来る実感や日本から眺めてみて感じたことなど書いていきたい。
なお「かん」は筆者の名の読みであり、特に語呂合わせのためニックネームを使った訳ではない。
重慶初訪問
今年1月に、初めて重慶を訪問した。同市科学技術委員会や大学などでインタビューを行うためである。
そこで今回は、日本ではまだ馴染みの薄いこの重慶について紹介することにした。また、重慶市科学技術委員会から聞いたコメントの中で、日本の国際協力をどう考えるかとても参考となるコメントがあったので、併せて話しておきたい。
まず重慶というと、どんなイメージが浮かぶだろうか。というか、そもそも我々日本人は、どんなことを知っているだろうか。
記憶に新しいのは、2004年夏に中国で開催されたサッカーのアジアカップにおいて、日本代表はグループリーグ3試合と準々決勝の計4試合を、この地で戦ったことだ。「夏の暑さや対日感情を考えると厳しい連戦となるだろう」というのが、日本国内でのサッカー専門家の見方だった。あわせて日中戦争時に日本軍がこの町を爆撃し一般市民も含めて大きな被害を与えたことが知らされたが、実際スタジアムにおいて日本チームはブーイングを浴びせられたと聞いている。
この他、中華料理について興味のある人なら知っているのが、重慶料理。中国では代表的な辛い料理である。
重慶へ到着
真冬の或る午後、空路重慶入りした。
一年で最も寒い季節だが、空気は温かくしっとりしている。乾ききった冬の北京から来ると、なんだかほっとした気持ちになる。重慶の日本総領事館のホームページによると、重慶は亜熱帯性気候。奄美大島とほぼ同緯度とのこと。春節(旧正月)前とあって、空港には赤を基調とした飾り付けがしてあって、華やいだ雰囲気だ。
車に乗って市内へと向かう。空は薄曇りだが明るい。重慶の日照時間は短く、特に冬期は全国主要都市中最短だそうだが、寒くはない。
大きな河をわたって市内に入ると、オートバイが目立つ。
何となく日本人には馴染みやすい景色と感じる。それは坂が多いことだ。
中国の大都市は、一般に広くて平らな土地にある。一方、重慶は長江と嘉陵江という二つの大河の合流点に位置し、古くから水運で栄えた港町。天然の良港のせいか、横浜のように坂が多い。国土の多くが山地である日本から来ても、余り違和感がない。
重慶のニックネームは「山の城」「霧の城」。ぼぉーと汽笛が鳴る。どことなく風情のある都会だ。
重慶市科学技術委員会を訪問
重慶市科学技術委員会は、全市の科学技術行政を管理している市政府の一部門である。この日は、潘副主任(委員会No.2で重慶大学材料科の教授でもある)から市の全般的な話について、また国際協力課から科学技術分野での国際交流の政策や現状についてうかがった。
まず、今回の訪問目的について改めて確認を受けた。中国の科学技術システムに関する研究という目的に加えて、日本では中国の直轄市といえども北京や上海以外の都市についてはそれ程知られていないことから、広大で多様な中国について見る時バランスを欠く恐れがあると考えている点について説明し、了解された。
以下、話を紹介していくが、文責は筆者にある。
重慶市は1997年に四川省から分かれ、北京、上海、天津に次いで四番目の直轄市(中国政府が直接管理する省と同レベルの市)となった。中国西南部における商業と工業の中心地である。
市といってもその規模は大きい。3140万人の人口を擁し、面積は8.2万k㎡ある。参考までに、日本の首都圏人口は4都県で3450万人、北海道は8.3万k㎡であることから、重慶市の規模が分かる。
広島市と姉妹都市とのこと。これはともに第二次大戦中爆撃の災禍を被った都市同士ということのようだ。
重慶市のユニークな点を教えて欲しいとの質問に対して、以下のような点があげられた。
(1)中国の製造業の一大基地で、オートバイ(全国1位)、自動車(同3位)、材料などに強みを持つ。
(2)中国の沿海部と西部(大開発)の両方の発展政策に参加し、その恩恵を受けている。
(3)世界最大の三峡ダムを抱える。重慶市の中心部はその上流側に位置している。
(4)国際協力に熱心であり、英、加、カンボジア、デンマーク、そして日本の総領事館が置かれている(日本の在中国公館所在地はこの他、北京、上海、広州、瀋陽、大連及び香港)。現在、177の国と貿易を行っている。
(5)環境対策に力を入れている。その一環として北九州市に技術経済事務所を設置し、同市の環境対策を参考にしている。
中国の国際的に開放され発展著しい都市は、沿海部にある・・・というイメージを、それまで私は持っていた。
一方、重慶の中心部は、地図で見ると札幌-福岡間くらい海岸から内陸へ入ったところに位置している。このように海から離れた都市が、国際都市として貿易や海外との交流で栄えているというのは、ちょっと意外な気がする。もちろん「山の城」でも工場は建設できるだろうが、177の国と活発に貿易するところにまで至ったのは、何故だろうか。
国際協力都市としての目標
国際協力に関するプレゼンは続く。
重慶市は国際協力による市独自のイノベーションの目標を設定している。自動車、オートバイ、IT、医薬、バイオ、それに環境がその重点分野とのこと。
主な海外の協力先としては、イギリス、ドイツ、日本などがあげられる。6月には海外から技術移転を受けるための国際会議を開催する計画である。
主な成果としては、ドイツとの協力によるMEMS(Micro Electro Mechanical System)の開発がある。これは、2006年の中国全体での科学技術の十大成果に選出された。
日本との協力へ話が移ってくる。
日本との国際協力についての歴史は長い。医療分野などでの大学間の国際協力案件が年々増えている。例えば、ヒトの遺伝子に関する研究結果についてサイエンス誌で発表したことがあるとの由。
東北大学を初めとして日本との人的交流も増えている。また現在、重慶と名古屋間で直行便も就航した。
重慶の大学・企業をPRするため、重慶市科学技術委員会は積極的に日本へミッションを派遣している。昨年から今年にかけての副主任(複数いる)を団長とするミッションは、計画中も含めると合計3度になる。日本との協力について、かなりの熱意を持っていると言えよう。
なぜ重慶に日本企業が集まるのか
台湾、香港と並んで、日本企業との交流は重要であり、スズキ、いすゞ、ホンダ、ヤマハなど多くの日本企業が重慶へ進出しているとのこと。
私は、さっきから頭に浮かんでいたことを、思い切って質問してみた。すなわち、日本軍の爆撃があったところだが、日本企業が多く重慶に進出している理由は何かと。ざっくばらんに話すのが身上だが、もし自分がその質問を受けたら何と答えるか。回答は意外というか、なるほどと思えるものだった。
それは重慶が港町であることに関係している。元々他との交流が盛んな土地柄で、移民も多い。また、重慶人は性格が明るくて外からのお客さんをもてなすことも好むとのこと。
確かに、数は多くはないが、自分がこれまで会った重慶出身の人達は明るい性格だった。また重慶の火鍋料理だが、現在は各人に小さい鍋を出すスタイルが増えていて、辛いのが苦手な人にはそれ程辛くない味付けも提供できるとの由。
企業の立地はインフラ、法整備など様々な条件が揃っていてなされるものだが、もしかしたらこのような柔軟で細かな気配りができる土地柄、人柄も、外から人を呼び込むのに役立つのかもしれない。
日本と他の先進国との国際交流のスタイルの比較
もう一つ日頃から考えていたことを尋ねてみた。それは、日本と中国との科学技術面での交流と、他の先進国と中国との交流とを比較についてだ。
こちらについては、次のようなコメントだった。
(1)良い成果を上げているMEMSの協力において、ドイツはとても積極的。この分野では中国の研究レベルは高く、中国と付き合うと得だということをよく理解している。
(2)中国の研究者も、どちらかと言えば、日本より欧米の事情に詳しい。
(3)日本の研究者は、関心の範囲が自分の専門分野に集まっているせいか、その後の広がりに乏しい。会合を持ってもフィードバックが少なく、なかなか話が発展しない。
(4)日本の研究機関や研究者はレスポンスや決断に時間がかかる。欧米人は、ぱっと見て良いと思えば即座に決断する。他方日本人は慎重で、事前の現地調査にも時間がかかる。
(5)欧米の研究機関の場合、政府のバックアップも大きい。例えば在重慶の英国総領事館には、科学技術担当の参事官がいる。
(6)ドイツの場合、長期にわたって安定的なカウンターパートがいるので、堅実な付き合いを続けていき易い。
欧米と中国の国際交流について話をまとめてみよう。
- 欧米と中国の研究者は、お互いによく研究の状況を熟知
- 良いと思ったら失敗を恐れずトライする欧米人
- 安定したカウンターパート、政府のバックアップなどシステムとしても充実 リスクを避けたがるという点については、日本人は性格的なものもあるかもしれないが、更に言えば、研究上のリスクを冒しチャレンジできるシステムを持つか否かも関係するかもしれない。
いずれにせよこれらのコメントは、今後の日本と中国の科学技術面での交流を考えていく上で大変参考になる。
今回のインタビューでは、経済発展のため、国際協力、特に日本との協力に熱意を持っているという重慶市の姿勢が、とても印象に残った(例えば、潘副主任はこの日の夕方に北京出張を控える慌ただしいタイミングでインタビューに応じて頂いた)。帰ったら、中国内陸地の国際協力に熱心な港町と人々の存在について伝えようと思った次第である。
参考
○フリー百科事典ウィキペディア「重慶爆撃」