【14-05】左派の発言
2014年12月15日
富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授
略歴
1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。
著書
- 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
- 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
- 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数
習近平が国家主席に就任と同時に掲げた「中国の夢」は、おそらく習政権の10年を代表する政策となるのだろう。
つまり鄧小平の「改革開放」、江沢民の「三つの代表」、そして胡錦濤の「科学的発展観」と並ぶものだが、前の三つの政策と比べて「中国の夢」だけが曖昧で漠とした印象を人に与える。
事実、それぞれ時代の要請と中国社会が直面した変化を反映した具体的な目的がのべられてきた過去の政策に比べて分かりにくく具体性にも欠けているように思われる。それ故に「中華民族の復興」という言葉で補われたのかもしれない。
やや言葉遊び的な比較になるが、これは日本の安倍首相が掲げた「美しい国」にも通じる曖昧さで、同じように「日本を取り戻す」という言葉で意味が補われるという過程も類似している。
いずれも「何かを取り戻す」ことを目的としているためなのか、政権が発足してから両国の社会には復古的な匂いが強まった。
よく誤解されることだが、中国の東シナ海や南シナ海での振舞いは、「経済力を高めた中国が海洋進出への野心を膨らませた結果の現状変更」ではなく、「中国が大人しくしていたがゆえに外国からなめられ奪われた権益を取り戻す」行動として中国人の多くは認識している。
この埋めがたい認識のズレは、問題解決への道のりが長いことを思わせるが、中国人の考え方を頭ごなしに否定しても何かが解決するわけではない。
事実、南シナ海での油田開発も空港建設も中国は最後発である。通称、「龍の舌」と呼ばれる中国が主張する南シナ海すべてを自国領とする九段線は、あまりに強引な印象を受けるが、かといって東南アジアの他の国々が、国連海洋法条約を無視して(係争の海での開発を禁じている)油田開発をしたり空港を建設して良いはずもない。そこには中国が「権益を侵された」と考えても不思議ではない状況もあったのだ。つまり〝中国版〟自虐史観の爆発であったとの要素が認められるのだ。
もっともだからといって中国の南シナ海での行動が許容されるものではない。ただ、彼らの動機が必ずしも「拡大」を主としていないと知ることも重要だろう。
さて、話は変わるが中国で自虐史観が花開いたことは、当然ながら対外的な変化を社会にもたらしただけでは終わっていない。日本でも戦前の日本を肯定する言論が高まったように、中国でも同じように過去を賛美するような言論がちらほらと目立ち――こうした言論は北京オリンピック前後には絶滅して、その影もなくなっていた――始めているのだ。
もともと習近平の言動にはそうしたものを肯定する要素が見られた。
過去に警察の力を借りず人民だけで司法問題を解決した楓橋経験を賛美し50周年を大々的に祝ったことなどが代表的だが、習自身がそれをどれほど真剣にやっていたのかはよく解らないのである。ただ、それが苛立つ左派に対しての対策としてやられていたとしたら、中国の未来にとって少々やっかいな事態が生まれつつあると見ることができるのだ。
2014年8月以降、まず中国社会科学院の王偉光院長の筆による「阶级斗争不可能熄灭(階級闘争を消し去ることはできない)」という論文が発表されたのに続き、中国共産党の理論誌・『求是』がトップ記事で「不能用法治代替人民民主专政(法治は人民民主専制の代わりにはならない)」という驚くべきタイトルを付けて文章を発表し大きな論争を引き起こしたのである。
改革開放以来30年、もはや忘れ去られたと思われた「階級闘争」や「専政」という言葉が使われたことで、瞬時に濃厚な文革の匂いを感じた読者もいて、恐怖を感じた。
こうしたなか11月25日の『社会科学院ネット』には、「中央文献研究室原主任:右的势力猖狂 矛头直指共产党」(中央文献研究室元主任 右翼勢力の猛威はとどまるところを知らない その矛先は直接共産党に向けられている)というタイトルの文章が掲載された。
内容はもちろん共産党が司法主義に毒されていることに警鐘を鳴らしたものだ。日本の読者には、「いまさら何を言っているのか」と理解し難いと切り捨てるかもしれないが、こうした小さなサインから大きな論争が始まることも中国社会が秘めている一つの特徴でもあるのだ。
中国社会がこの30年の間に生み出した改革開放の非受益者が左派の言論に敏感に反応することは、すでに薄煕来元重慶市書が実証済みだ。
中国の左派が少数であっても、声が大きければ彼らがムーブメントを巻き起こす可能性は否定できない。何といっても中国は、形式的にはいまだ共産主義の旗を降ろしたわけではないのだ。