露口洋介の金融から見る中国経済
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【21-07】デジタル人民元白書

2021年07月28日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 中国人民銀行は、2021年7月16日に「中国デジタル人民元の研究進展白書」(以下「白書」)を公表し、メディア説明会を開催した。デジタル人民元については、すでに2020年1月 、6月 、12月 の本コラムや日本経済新聞の経済教室(2020年10月8日)など多くの機会に述べてきたが、今回は白書とメディア説明会の内容を検討したい。

デジタル人民元の概要

 デジタル人民元は中国人民銀行が現金に代わる電子的支払い手段として発行を検討している。2020年5月に、人民銀行の易綱総裁はデジタル人民元の概要について、①二層方式で運営され、②現金を代替するものであり、③コントロールされた匿名性を有すると説明した。また既に深圳、蘇州、雄安、成都そして2022年開催予定の冬季オリンピック会場において実験が進展していると述べた。

 その後、2020年10月からは深圳市や蘇州市などで一般大衆にデジタル人民元を配布して、店舗での購買などに実際に使用する実証実験が開始された。

 今回の白書とメディア説明会では、最新の動向について以下のように説明されている。

定義と目的

 デジタル人民元は、実物の人民元と同じく人民銀行が発行する法定通貨であり、デジタル方式で価値を移転するものである。その目的として、第1に電子決済の普及による現金の減少に対応し、公衆の電子決済手段に対する需要を満たしながら、金融包摂にも貢献すること。第2に一般の電子決済手段と補い合うとともに、差異も有し、決済手段の多様性を高めること。差異としてはデジタル人民元には「支払い即決済終了」という特徴があること、コントロールされた匿名性があり個人のプライバシー保護が行えることなどが挙げられる。第3に、グローバルステーブルコインの登場に対応し、国際社会と協調して、クロスボーダー決済の改善に資することである。

運行システム

 集中管理方式と二層運営方式をとる。人民銀行は、デジタル人民元の発行から消却に至る全過程を集中管理し、金融機関間の流通とデジタルウォレットに対する技術管理・規則の制定を行う。第二層では、指定運営機関が人民銀行からデジタル人民元の発行を受け、他の商業銀行などとともにデジタル人民元の流通サービスにあたる。メディア説明会では、「研究開発段階の運営機関として、工商銀行、農業銀行、中国銀行、建設銀行、交通銀行、郵政貯蓄銀行が参加している。さらにモバイル通信会社である中国移動は工商銀行と、中国聯通と中国電信は中国銀行と連合して参加している。また、アントファイナンスとテンセント傘下のインターネット販売企業とテンセント系の民営銀行である微衆銀行も参加している。招商銀行も近く参加を認められる予定である」とされた。

 人民銀行は、指定金融機関からデジタル人民元の交換、流通費用を徴収しない。指定運営機関も個人顧客から払い出し、回収に関する費用を徴収しない。2020年10月に行われた穆長春人民銀行デジタル通貨研究所長の講演では、指定運営機関とその他のサービス提供機関や店舗との間の手数料については市場原理で決定されると述べられている。

 指定運営機関は、顧客の身分証明の強固性に応じて異なる取引限度額や残高上限を設定したデジタルウォレットを提供し、独自の決済商品の開発を行う。デジタルウォレットはスマートフォン上のアプリだけでなく、ICカードによっても提供される。また、デジタル人民元の移転はインターネット環境の無いオフラインの状況でも可能である。デジタル格差をなくし、金融包摂を進めるため、銀行口座との紐付けは緩く、銀行口座がなくとも、ICカードによっても利用することができる。この点について、2020年11月に前人民銀行総裁で中国金融学会の周小川会長が行った講演によると、香港の紙幣発行方式が類似例として挙げられている。香港では、香港上海銀行、スタンダードチャータード銀行、中国銀行の3行が香港ドル紙幣を発行しているが、これらの銀行のバランスシートの資産サイドには香港政府発行証券が計上され、負債サイドにそれと同額の紙幣発行残高が計上される。紙幣発行残高合計について管理するが、紙幣がどのように流通しているかを把握することはできない。デジタル人民元もこれと同様、指定運営機関による口座管理は行われない。

 「コントロールされた匿名性」に関しては、「小口は匿名、大口は法により遡及」という原則に従う。個人のプライバシー保護を高度に重視する一方で、マネーロンダリング、脱税などの違法行為については、人民銀行による集中管理によって、法の下での監督管理を可能とする。

 現金を代替するものであるが、紙幣への需要が存在する限り、紙幣と長期間併存する。デジタル人民元に対する付利は行わず、銀行預金からの資金シフトを防止する。

クロスボーダー決済への使用

 デジタル人民元は、クロスボーダー決済における使用が可能となる技術的条件を備えている。しかし当面は国内のリテール決済の需要を満たすことが先決である。人民銀行はG20などの提唱に応え、相手国の通貨主権を充分尊重し、「通貨主権を損なわない」、「相手国法規に従う」、「既存決済システムとの互換性を実現する」という原則に従い、各国の中央銀行や通貨当局との間で法定デジタル通貨の為替取引などについて協力メカニズムを構築していく。既に、金融安定理事会(FSB)、BIS、IMF、世銀、各国通貨当局、世界トップクラスの大学院などと意見交換を行い、法定デジタル通貨の標準作成作業に積極的に参加してきた。人民銀行デジタル通貨研究所は香港金融管理局(HKMA)との間で協定を結び、BISが主導する法定デジタル通貨間ブリッジ構想(mCBDC Bridge)にも参加している。

実証実験

 2020年11月に、上海、海南、長沙、西安、青島、大連を実験地点に追加し、2021年6月30日までに、個人のデジタルウォレット2087万個で試行を行い、累計試行取引件数7075万件、取引総額345憶元を実施した。双方がオフライン状態で行う取引や、スマートフォン以外のスマートカードによる決済手段による取引などを試行し、デジタル格差解消を目指している。

今後の見通し

 デジタル人民元導入の日程表はまだないとされており、今後、実証実験のカバーする事象を増やし、法律や規定の整備を進め、金融政策、金融安定などに対する影響の研究をさらに進めていくとされている。

 以上の説明から、人民銀行は二層運営方式と現金のみを代替するという原則の下、商業銀行の営業面や金融政策面、金融安定面への悪影響をできるだけ回避しながら、デジタル人民元によって、電子決済手段の普及による現金の減少に対応しようとしていることが理解できる。金融包摂の観点からは、銀行口座を保有しない者でも、あるいはインターネット環境がなくても利用できる。また、当面国内リテール決済への適用が先決としながらも、国際機関や各国通貨当局と意見交換しながら、クロスボーダー決済の試行地点を設定し、積極的に法定デジタル通貨の国際標準作成に関与しようとしている。

 日本も、デジタル人民元の進捗状況を注意深く観察しながら、その国際的な影響を検討し、対応を考えていくことが必要であろう。

(了)