【19-03】米中知財戦争と日本の対応(上)
2019年5月9日
荒井 寿光:
知財評論家、元内閣官房知財推進事務局長
略歴
通商産業省入省、ハーバード大学大学院修了、特許庁長官、通商産業審議官、経済産業省顧問、独立行政法人日本貿易保険理事長、知的財産国家戦略フォーラム代表、内閣官房知的財産戦略推進事務局長、東京中小企業投資育成株式会社代表取締役社長、世界知的所有権機関(WIPO)政策委員、東京理科大学客員教授などを歴任。 現在、公益財団法人中曽根平和研究所副理事長、知財評論家。著書に「知的財産立国を目指して - 「2010年」へのアプローチ」、「知財立国への道」、「世界知財戦略―日本と世界の知財リーダーが描くロードマップ」(WIPO事務局長と共著)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞出版社)など多数。
米中間で展開されている覇権争いの背後には、知財をめぐる紛争が色濃く横たわっている。中国は科学技術力で急速に力を付けて米国を追い上げており、研究成果を知財権で囲い込み、知財力でも追いつき追い抜こうとしている。
両大国の知財力は、経済力、軍事力とも密接に関わっており、米中のはざまにある日本は、どのような対応をしながら戦略を練り上げていくのか。現状の分析と日本の対応について(上)(下)2回にわたって検証してみたい。
1 中国の急迫に対する米国の危機感
(1)経済力で中国が米国に接近
国の経済規模を示すGDP(国内総生産)を見ると中国は12兆ドルで、米国の19兆ドルの70%まで近づき、2030年代には米国を抜くと予想されている(日本は5兆ドルで第3位、2017年)。
(2)製造業では中国が既に世界1位
製造業のGDPだけ見れば、中国は2010年以降米国を抜き、世界第1位だ。(世界製造業に占めるシェアは中国25%、米国20%、日本10%、2016年、国連統計より推計)
(3)科学技術力でも中国が世界2位に躍進
投入する研究開発費でも、成果としての発表論文数も、1位米国を2位中国が追う展開となっている。(研究開発費は、1位米国、2位中国、3位EU、4位日本、米国NSF調べ。発表論文数は、1位米国35万件、2位中国28万件、3位ドイツ10万件、4位英国10万件、5位日本8万件、文科省・科学技術・学術政策研究所調査。いずれも2015年の実績。)
最近話題になっている事例を見ると、2019年1月、中国の無人探査機「嫦娥(じょうが)4号」は世界で初めて、月の裏側に着陸した。スパコンでは、中国の「神威太湖之光」と米国が毎年、世界1位の座を争っている。5Gの通信機器の分野では、中国のファーウェイが世界1位と見られている。
(4)中国は米国を抜いて世界一の知財大国
中国の特許出願件数は138.2万件で、米国の60.7万件、日本の31.8万件を大きく引き離し、7年連続世界一だ。(2017年)
最近は、国際出願に力を入れており、WIPO(世界知的所有権機関)のPCT(特許協力条約)に基づく国際出願件数は4.88万件に増加し、日本を抜いて世界2位になった。(1位は米国5.7万件、日本は僅差で3位の4.82万件。2017年)
(5)中国の軍事力強化が続く
中国は、軍事予算を引き続き増加させており、空母を保有し、戦闘機の近代化を進め、宇宙やサイバーの軍事力でも、米国に迫っている。
2 米国は強硬な中国政策に転換
米中知財戦争は米中覇権争いの中核
(1)米国が中国に知財保護を要求して、米中知財戦争が勃発
米国は、中国が①米国企業の技術や知的財産を中国企業に強制移転している、②技術獲得を目的に米国企業を買収している、③米国の商業コンピュータネットワークへの不法侵入やサイバーを活用して知財等を窃取していると非難して、米中知財戦争が始まった。
(2)米国の要求は幅広く、あらゆる対抗手段を動員
今回の米国の要求や対抗手段には次の特色がある。
第1 知財の範囲が広い。
特許、著作権など「伝統的な知的財産権」だけでなく、営業秘密、技術ノウハウ、データなど、「先端技術全体」の保護を問題にしている。
第2 知財の窃取の手法が多様。
ニセモノ、特許侵害だけでなく、技術の強制移転、先端ハイテク企業の買収、サイバースパイなど、中国の多様な手口を非難している。
第3 米国はあらゆる対抗手段を動員。
制裁関税、対米投資制限、中国への技術移転制限、中国企業への米国ハイテク産品の輸出制限などあらゆる手段を動員。
(3)史上最大級の制裁関税を発動
米国は2018年7月から中国からの輸入に制裁関税をかけている。対象輸入額は、中国からの輸入総額5,000億ドルの半分に当たる2,500億ドルにのぼる。
これに対し中国も1,100億ドルの報復関税を発動し、「米中知財戦争」が始まった。
(注)トランプ大統領 知財侵害を理由に制裁関税発動(2018年)
7月 (340億ドル)産業機械などに25%上乗せ。
8月 (160億ドル)半導体などに25%上乗せ。
9月 (2,000億ドル)食品、家電などに10%上乗せ。
合計 2,500億ドル
習近平国家主席とトランプ大統領
(4)中国と対決する「2019年度国防権限法」
米国では、毎年、国防のための予算や政府に必要な権限を付与する国防権限法が制定される。2018年8月に成立した2019年度国防権限法は、「中国共産党の政治的影響力、経済ツール、サイバー活動、世界のインフラと開発プロジェクト、米国と同盟国やパートナーに対する軍事活動に対処するための中国に対する全政府戦略を指示する」ものだ。(下院軍事委員会のサイトより。)
過去最大の国防予算が認められた他に、次の内容の法律が制定された。
①重大な技術に関する米国への投資は、CFIUS(外国投資委員会)の審査を義務付ける。
②新基本技術の中国等への輸出、再輸出などは、商務省の許可を必要とする。
③2019年8月から中国企業の通信・監視関連機器を米国政府機関は利用できない。2020年8月からは、これらの機器を利用している企業(日本など外国企業も含まれる)は米国政府機関と取引できない。
(5)「新冷戦宣言」と言われるペンス副大統領の演説
2018年10月4日、ペンス副大統領は、"The Administration's Policy Toward China"と題する演説を行った。
議会やシンクタンクで言われてきた中国批判を網羅する激しい内容だ。1972年の国交樹立、2001年のWTO加盟により、中国が経済発展により政治的自由や人権が尊重されるようになるとの希望は消え去り、エンゲージメントポリシーは失敗で転換すると宣言した。
知財に関しては、中国政府はあらゆる手段を使って米国の知的財産を手に入れるよう指示しており、安全保障に関わる機関が「知財窃盗」の黒幕だと断言している。
(6)ファーウェイ副会長逮捕
2018年12月5日、カナダ司法省は米国の要請を受け、中国の通信機器最大手、華為技術(ファーウェイ)の副会長を逮捕した。米国が経済制裁を科すイランに製品を違法に輸出した疑い。
ファーウェイは基地局の世界シェアは1位、スマホでは韓国サムスン電子に次ぎ2位。中国の産業政策「中国製造2025」の重点分野の一つである次世代通信規格「5G」のインフラに注力しており、世界66カ国の通信会社向けに約1万件の基地局をすでに出荷しており、今回の逮捕は米国の強い意思を示している。
(7)中国ハイテク企業の締出し
米国は、ファーウェイ、中興通訊(ZTE)、監視カメラ大手の杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)、浙江大華技術(ダーファ・テクノロジー)、海能達通信(ハイテラ)の5社を安全保障上のリスクがあるとして警戒している。
いずれも中国の産業振興策「中国製造2025」の中核企業で、これらの企業の通信機器を経由して中国が軍事情報を盗み出していると米政府は見ている。
米国から警戒されているファーウェイと中興通訊
前述の「2019年度米国防権限法」では、2019年8月13日以降、政府機関や米軍、政府所有企業がサーバーなど5社の製品や部品を組み込んだ物品を調達することを禁じる。さらに2020年8月13日以降は、5社の製品を社内で利用している企業(日本を含め外国企業も)は、いかなる取引も米政府機関とはできなくなる。
米国は、同盟国にも中国の問題企業を締め出すよう働きかけている。オーストラリアとニュージーランドは通信規格(5G)へのファーウェイの参入を禁止。英国では通信大手BTグループがファーウェイ製品を5Gの基幹ネットワーク部分から排除すると表明した。
日本政府は特定の国や企業の製品を政府調達から締め出す措置をとっていないが、次世代通信規格「5G」の運用開始を控え、中国企業などを念頭に、2019年4月以降は安全保障上の危険性がある通信機器を調達しない方針を示している。
3 中国の対米戦略 交渉による打開を目指す
(1)当初は報復関税を発動して対抗
これに対し、中国は当初、報復措置を講じ、一歩も引かない構えでスタートした。
中国側の報復関税措置は、米国の制裁関税措置を受け、同日付で導入された。合計1,100億ドルに達し、米国からの輸入合計1,500億ドルの70%に相当する。
(注 中国の報復関税、2018年)
7月 (340億ドル)大豆、自動車などに25%上乗せ。
8月 (160億ドル)古紙などに25%上乗せ。
9月 (600億ドル)木材やLNGなどに5~10%上乗せ。
(2)途中から交渉による打開を目指す方針に切替え
2018年12月、トランプ大統領と習近平国家主席が会談し、米国側がさらなる追加関税導入を90日間猶予することとし、この期間に、知財保護、技術移転の強要問題、サイバー攻撃などの分野で改善策について閣僚級で交渉することが合意された。
これは、1990年代に最高指導者、鄧小平氏が強調した「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保の方針である韜光養晦(とうこうようかい)路線へ回帰したと見られている。
(3)難航する閣僚交渉
現在、閣僚級の交渉が当初期限(2019年3月1日)を延長して行われている。米国は、中国に対し「中国製造2025」の廃止、国家資本主義の修正を求めているが、これは経済政策の根幹であるとして中国が強く反発していると言われている。
(4)中国は強国路線を対外的にはトーンダウン
中国は2019年に入り、米国の要求に配慮して「強国」を目指す路線を少なくとも対外的にはトーンダウンしている。
① 2019年3月5日、中国の第13期全人代(全国人民代表大会)の第2回会議で、李克強首相が政府活動報告の中で、「知的財産権の保護を全面的に強化し、侵害に対する懲罰的賠償制度を整える。市場参入条件をいっそう緩和し、より多くの分野で外資の独資経営を認める。中米経済貿易協議を引き続き進展させる。」と発言している。(2019年3月5日、日経新聞)
② 2019年4月26日、習近平国家主席は、シルクロード経済圏構想「一帯一路」に関する国際会議で、外国企業の権益保護強化をうたった外商投資法の施行、知財権の保護や技術移転強要の禁止、モノとサービスの輸入拡大、人民元相場の安定、国際合意を履行する仕組みづくりなどを約束した。
習氏はこれらを「改革開放政策の一環」と説明したが、いずれも米中協議で米側が強く改善を求めていた分野であり、米国の要求を念頭に置いている。(北京時事)
(5)外商投資法の制定
中国は、2019年3月15日、外資企業の投資を保護する外商投資法を制定した。米中協議の一つの焦点である技術移転強制について「行政機関とその職員が行政手段を利用して技術移転を強制してはならない」とされた。2020年1月1日から同法施行される。
外商投資法は外資関連の3つの法律を1本にまとめたもの。2018年12月に原案を公表し、わずか3カ月での法案成立は中国では異例の速さで、中国が対米協議をにらんで譲歩姿勢を訴える思惑であろう。
(6)知財保護の強化
知財保護の強化は、米国からの要求に応える面もあるが、中国自身にとっても利益になるため、整備を加速している。
① 損害賠償額の引き上げ 専利法(日本の特許法)の改正
鉄道の不正乗車が3倍料金を払わされるのと同じように、悪質な知財侵害に関しては米国では3倍の賠償を命ずる制度があり、中国でも商標に関しては既に導入している。特許については世界で一番高い5倍賠償制度を導入する専利法改正案が審議されている。
また知財の侵害事件では、侵害による損害額を厳密に算定することは難しいので、裁判官が心証で決める法定賠償制度が導入されており、判決の90%以上がこれによると言われている。法定賠償額は商標では300万元以下の範囲で、特許では100万元以下の範囲で決めているが、特許に関しては上限額を500万元に引き上げる専利法改正案が審議されている。
② 世界で最初の最高裁判所レベルの知財法廷を設置
2019年1月から、最高人民法院(日本の最高裁判所に相当)に知財法廷を設置した。特許等の技術専門性が高い分野の民事事件・行政事件の二審が最高人民法院に一元化された。30以上ある高級人民法院の判断基準を統一する常設の裁判機関である。裁判官は27名で発足(近い将来100名に増員予定)。なお、日本の知財高裁の裁判官は18名である。
日本や米国の知財裁判所は高等裁判所レベルであり、最高裁判所レベルに設置したのは、中国が初めてだ。
裁判官は、北京市や地方の知財法院・知財法廷から若くて専門性の高いエリート知財裁判官を選抜して27名を任命した。今後、100名に増員するための2回目、3回目の選抜を行う。今回任命された裁判官はすべてマスター以上の学歴を持ち、半分はドクターで、3分の1は理工学のバックグラウンドを有し、3分の1は海外留学経験を有する。平均年齢は42歳と若く、40代が主力メンバーである。
(7)米国と並ぶ「世界の裁判所」を目指す
①まずは、「一帯一路の裁判所のセンター」が目標
司法制度は世界秩序のインフラである。スマホのような商品は世界中で販売されるが、特許は国毎に効力が生ずるため、アップル対サムスン事件のように特許紛争は世界中で同時に発生する。しかし最終的には米国の裁判所で決着することが多い。そういう意味で、知財に関しては米国が事実上の「世界の裁判所」になっている。
中国は、知財に関し米国と似た法律や裁判所を作り、運用しようとしている。これに加え中国の裁判の判決を世界に発信することにより、米国と並ぶ「世界の裁判所」になることをねらっている模様だ。
2019年4月に北京で開催された一帯一路の首脳会議の共同声明では、「法務協力を進め、商工業界のための紛争解決業務を含めた法律援助を行う」ことが謳われており、少なくとも「一帯一路の裁判所のセンター」を目指している。
②インターネットにより知財裁判を世界に公開
中国では、経済社会全体でIT化が急速に進んでいるが、裁判所も物凄い勢いでIT化に取り組んでいる。
中国では、知財裁判は口頭審理が中心でありインターネットで中継されていて、世界中の誰もがインターネットで見ることが出来る。透明性の向上により裁判に対する内外の信頼を高める狙い。
③インターネット裁判所の設置
浙江省杭州市、北京と広州市に世界でも珍しいインターネット裁判所が設立されている。インターネット裁判所では、オンラインにおける取引詐欺や債務契約、インターネット著作権侵害をめぐるトラブルを審理する。司法手続きの全ては、当事者が裁判所に出廷せずにインターネットの動画中継を使用して行われる。中国のインターネット裁判所は世界のモデルになる可能性がある。
インターネット裁判所の中継の様子
④中国知財情報の国際発信
中国語・英語のウェブサイトで裁判の判決や最高人民法院の施策、司法解釈等を内外に発信している。中国はテレビの国際放送に力を入れ、中国の情報を世界に伝えているが、これと同じ発想だ。
⑤日本の裁判所はIT活用面では中国に遅れている
日本には、インターネット中継、インターネット裁判所のいずれもない。日本の知財情報の国際発信は限定的だ。IT化に関しては、中国は日本よりはるかに進んでおり、米国よりも進んでいる模様だ。
アジアの知財紛争処理センターになることを目指して、日本、中国、韓国、シンガポールが競争している。中国の国をあげた取り組み、韓国における知財裁判の英語使用、シンガポールの国際仲裁の実績を見ると、日本は苦戦していると言わざるをえない。
(本稿は2019年5月8日現在の情報による)
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